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ナイナイにしたいあるあるパターン

発達障がいの子どもの周囲の関わりで残念なあるあるパターン

幼少期にアセスメントがなされないまま、あるいは気づかれていても支援にたどりつけない場合(最初のボタンの掛け違い)があります。この場合、本人に合わない普通を強要されて、就学に間に合わせるためにスパルタ療育をうけたり(虐待)、苦痛と混乱と不安の中に放置(ネグレクト)されて理解と必要な支援に乏しいまま、理不尽な叱責や失敗を繰り返し、イジメ被害などにもあいやすく集団がますます怖くなり対人関係の経験がつめなくなります。本人は苦しくても気づかないかうまく表現できず我慢を重ね、自己肯定感をどんどん下げ、頑張って過剰適応していた場合もどこかで学校にいけなくなります。それでも無理に行かせようとすると大暴れしたり、身体症状や精神症状(摂食障害、解離性障害など)で訴えます。その行動や症状にだけ目が行き、さらに叱責されたり苦痛を強要されたりしてこじれてから、「もはや教育の問題ではない、なんとかしてくれ」と精神医療の眼の前に現れます。


そこでもSOSを拾い上げうまく対応できればいいのですが医療でも、周囲の都合で薬飲ませたり隔離したりして姑息的な対応だけになったばあい、その場は一時おちついたとしても、物心のつく思春期に突入するとお薬も特別支援も主体的に自分で選んでつかえず(内なるスティグマ)、援助希求できず親の言うことには反発が激しくなり、さらにひきこもるか荒れることになります。統合失調症や気分障害などの精神疾患発症のリスクにもなります。この辺りで初めて学校や小児科から入院でなんとかならないかとか、どんな薬を使えいいんでしょう?と精神医療に相談されることが多い・・。


それでも、やはり本人は想像上の普通なるものを目指して中学からは心機一転、全登校すると部活や授業も頑張ってみたりしますが、やはり疲弊して中学1年の秋ごろからぱったりいけなくなって、中学2年生ではほぼ不登校になります。そこで親も世間体を気にせず覚悟をきめ、本人も家で好きなことをして力を溜めて過ごせれば良いのですが、他にすることがないと大抵反応的にゲームだけになります。それでも中学3年生の秋から高校が気になりだし、少しずつ動けるようになり、通信制も含め、あう高校にいければよいのですが、エネルギー尽き果て試行錯誤の経験も積めず、そのまま長期引きこもりに移行という場合もあります。
外からの手がはいらず、家族が過干渉で隠そうとしたりして、親離れ、そして特に子離れができないと時々荒れながらも、受動、自閉となり、80−50(親が80歳、子どもが50歳、親が認知症になったり要介護になり子どもも社会的に発見!される)までそのままになることになります。残念ながらここではじめて精神医療に相談されることも・・。


どの時点からでも成長、回復はできるとは思いますが、カギは子どもの頃から本人に選択肢を示し、ちゃんと聞いて、したい性を引き出し、支え、つなぎ、見守ってくれる大人の存在です。好きな活動や役割での経験、将来をみすえた見通し、それらを通じたほそぼそとでも親以外の大人や友人とのつながりがあるかどうかです。そして何より本人の人権尊重を基本に親や支援者が関われるかどうかです。医療はあくまで生活をささえるための脇役、サポートしかできません。

そもそも合わない学校生活になじむ、適応する必要があるのかからだなあ・・(^_^;)。ペンギンのヒナなのにカモメの学校に行かされているような場合もあるわけだから。

あるラボをやっているのはこういうのをナイナイにしたいためでもあります・・。

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