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学校ってこんなにうるさかったかな・・。

先日、小学校に行く機会がありました。

自分が聴覚が過敏な傾向があり、大人になってからは普段自分で楽な場所にいたりツールをつかったりしているからかもしれませんが、小学校に行ってみて学校ってやたらうるさい場所だったんだなぁと思いました。

授業中にも他のクラスの音楽の授業の音がなっていたり、給食の時間も放送委員会がクイズの放送を流したり、歯磨きも音楽に合わせてやったり。

私自身、家でも食事中やくつろいでいる時間に家族にテレビを付けられるのが嫌だったりするので(シャットアウトできない。イヤマフを使うこともあります)とても気になります。そうは言わなくても静かな環境で給食を食べたい子どももいるだろうとおもいますよ。

また学校にもよりますが、いろいろな掲示物などにあふれ目にもうるさくてつかれてしまいます。後ろの壁はともかくせめて黒板の周囲はすっきりとさせてほしいです・・。どこを見ていいかわからず目がチラチラします。

『うるさい日本の私』という本で日本はうるさすぎると言ったのは哲学者の中島義道さんでしたか、日本は電車でも何でも、とにかくおせっかいが多いです。日本製のカーナビも余計おせっかい機能が多く余計なことをいいますね。(視覚優位だからそう感じるのかもしれませんが)案内も余計な事が多く、そこから情報を抽出するのにつかれます。

その一方で掃除の時間は長野県の名物「無言清掃」です。これも不思議な習慣で、集中しなさいということだと思いますが掃除をきれいに完了することが目的なら、声を掛け合い話しながらのほうが目的遂行できる子もいるかもしれません。チームスポーツだって「声かけあえ!声出せ!」っていいますしね。無言清掃を何の目的でやっていて、どういう効果があるのかなどを検証した研究とかあるのでしょうか?

目や耳から情報が入りすぎる子もいますが、子どもが自分では気づくのは難しいです。みんな我慢しているとおもっていたりして、自分も周囲も気づかずにストレスを貯めています。

学校側も聴覚にもいろいろあることを認めて、せめてイヤマフなどはみんなが使えるところに置いておいて、必要な子には求めれば自由に使えるようにしてもらいたいなと思います。また指示は音声言語だけでなく、わかりやすい場所に視覚提示(文字情報+必要なら絵や写真)も併用してユニバーサルにしてほしいですね。

カインズの700円くらいの激安イヤーマフ

 

大人になったら自分で自分のいる場所や、使う道具を選べば良いのですし、ユニバーサルでシンプルな視覚提示も今となっては社会のほうが学校よりもむしろすすんでいたりします。

逃げ場のない学校の場で無用なガマンを強いる意味はありません。

学校の現場こそ子どもたちの声を丁寧に聞き、外部の支援者や成人当事者とともにアセスメントをすすめ、ユニバーサルデザインと合理的配慮を両面からすすめ、インクルーシブな場の見本になってほしいと思いました。

(といぴ)

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