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10月1日に長野県精神保健福祉センター主催の研修会@にじいろキッズライフで開催された精神科医の斎藤環先生の「ひきこもり支援とオープンダイアログ」という講演会に行ってきました。

台風一過の日で、交通が乱れた影響で斎藤環(たまき)先生は45分おくれ、30分延長しての講演でしたが、ものすごい勢いで喋って行かれました。
斎藤環先生はこの分野の第一人者であり、実に具体的で、ひきこもり支援だけではなく、不登校や発達障害への関わりなどにも、いろいろ応用が効きそうなアイディアが満載です。
観念的ではなく、なるほどすぐにやってみようと思える、実践に基づいた具体的な手法の話はいいですね。
小栗正幸先生の講演に通じるものがあります。

印象に残ったところを中心にシェアします。


ひきこもりの人の数は多いが支援の方法論は確立されている

引きこもりは調査しても必ず過小評価されるため実態の把握はなかなか難しいですが、全国で少なくとも100万人、おそらくは300万人くらいいると推定されています。

ここでの引きこもりというのは状態像であり、外出していないというのとは関係なく、家族以外との関わりがなく6ヶ月以上社会参加しておらず、精神疾患を第一の原因としないものをいいます。
精神疾患がある場合はそちらの治療が先になります。

病気ではないかもしれませんが、決してほおっておいてもなんとなるものではなく、不登校の2割位が引きこもりになるとされ、親もうつ状態を呈したり、母子密着状態の共依存関係になったりします。
しばしば著しい長期化に至るため早い段階で対応することが大事です。

ニーズは個々に違うので、そこを把握することが大事です。あまりいませんが、本人が充足しており、状況が許し、全然ハッピーだよとう人は支援対象ではないということです。

ひきこもりは男性に多いとされますが、これは女性の場合はジェンダーロール後進国である我が国では、家事手伝いや専業主婦だという口実があるため事例化しにくいということもあるようです。
引きこもり女性にはうっすらと男性恐怖症がある場合もあり引きこもり女子会というのにもニーズがあります。

今やひきこもりの支援の方法論は確立されており(ガイドラインもある)、人手がたり、動機づけにさえ失敗しなければ必ず回復すると強調されていました。

また支援をはじめる年齢に遅すぎるということはなく、慢性化することはなく、40歳でも50歳でも回復をめざせるということであきらめずに支援する価値があります。
大事なのは対話的な姿勢でまつことで、あえて「引きこもっている人はなんとかしたいと思っている」という先入観を持ってくださいとのことでした。

診断を下すことで本人の自己洞察が深まり、生きやすさがますようであれば診断には意味がありますが、発達障害の診断は過剰診断の傾向があり、横断的にみるとかなりのケースでそう見えますが、幼少期からの評価などをキチンと行い安易にラベリングしないように診断は大切に扱っていただきたいと強調されていました。

まずは家族へのアプローチから

引きこもり支援の多くは、まずは家族相談から入ります。本人が来なければ支援できないというのでは支援にはなりません。親支援、個人的支援、中間的過渡的な集団との再開(ディケアや自助グループ、地域活動支援センターなどのたまり場)、社会参加の試行錯誤(就労移行支援、ボランティアなど)と引きこもり支援が進みます。

ひきこもりの人の家族の基本的心構えは「本人が安心してひきこもれる関係づくり」です。
傍目にみて甘やかしているように見えるくらいのほうが上手く行きます。

ついやりがちな不安を煽って恫喝する手法、厳しい対応で兵糧攻めにして追い詰めるやり方は、まずうまくいかず通用しません。言いがちな「怠け」「甘え」「わがまま」などは禁句です。
北風よりは太陽。安心をえられるとそこを土台に踏み出せますが、不安だとそこにしがみつきます

とはいえ受容の枠組み設定は大事です。

お金は必ず定額小遣い制で

消費活動は最初の社会参加なのですが、働かざるもの食うべからずと、お小遣いをあげないということは、あなたは一生社会参加しなくていいというメッセージになり、ない生活に適応し、欲もなくなり、意欲もなくなります。
一方で言われたらその都度お金を渡すというやり方もダメです。
子どもとして扱わない、半人前扱いしないということで、お小遣いは定額制の月額制一択であり、このあげ方以外には金銭感覚が身につきません。
具体的には食費、治療費、保険などを別枠にして、家庭によりますが、ネットや携帯などの通信費、衣類代など込みで平均23000円であり、使い切ろうがためようが本人の自由にすべしとのことでした。

暴力は断固拒否し一貫した対応を

引きこもっているこどもは弱者ではありますが、続発する暴力は断固拒否することです。
拒否は禁止とは違い、「嫌だ、辛い、やめてほしい」としっかり伝え、させないであげるということが大切です。
具体的には、通報、もしくは避難といった暴力がおきたときの対応を予告しておき、実際に暴力が起きたら予定通り実行します。その日のうちにが原則です。

避難の三原則は①暴力直後の避難、②避難直後の連絡(暴力が嫌で逃げたけれど、あなたのことは見捨てていないと伝える)、③最低一週間くらいあけて帰宅するということです。

通報は警察などを必ず呼ぶことで本気度を見せることが大事です。(警察ではなく第三者でも可)
これらはパフォーマンスであり、措置入院や逮捕するというようなことは必要ないのですが、それくらい嫌だということを示すために、きちんと呼ぶことが大事です。

これをやっていれば暴力は必ず収まりますが、この方法で、収まらない暴力は親に罪悪感があるなど、脇が甘いことが大半とのことでした。

ライフプランとケアとしての就労支援

ケースワークも立派な支援であり、お金の問題は一つの重要な切り口であり、相続や介護の問題、なども切り口としてはあり、ライフプランの提示して限界をしってもらうのは大事です。本人の住居を確保した上で別居し、年金受給年齢までの年収(100万円程度?)を保証する、財産リストを作成する、福祉制度を活用を考えるなど見える化します。
それらの話題を媒介にして対話が成立させるというやり方もあるそうです。実際にそれを專門とするファイナンシャルプランナーもおり様々なテクニックがあるようです。

就労はゴールと考えがちですが、注意が必要なのは、「なぜ働くのか?」(就労動機)ということに関して、旧世代は「食うため(ハングリーモチベーション)」と考えますが、若者世代はそれはリアルではなく、むしろ「承認のため」であるということです。
承認欲求というのはマズローの欲求段階説のように、生理的欲求、安全欲求、関係欲求が満たされて初めて芽生えやすくなるということが注意が必要です。
ブラック企業など、不適切な職場は、これらの欲求を全部潰してしまいます。
就労は回復の過程で後押しする機能がありますが、毒にも薬にもなります。
「選ばなければ仕事はある」といっても、選びたいのです。

人からされた説得には必ず反発が伴います。
支援者の役目は動機を与えるのではなく動機の発見を手伝うことです。

自分で発見した動機が一番強いことを考えれば芽生えた動機はかならず取り上げましょう。
つまりどんなに無理そうでも無理とはいわない。まずやってもらい、実験としてやってみようというスタンスです。
「頑張れ」よりもグッドラック。試しただけで大成功、決してダメ元ではなく、データをとったということで失敗はありません。
ゴールはどんどん変わっていくかもしれませんが、動いていると別の目標も出てきます。
脆弱性をかかえた若者の就労支援は必然的にケアの要素をはらみます。
そこに高度の専門性は不要です。多くの半専門家のサポートによって就労支援はケアになります。

全ての基本は対話(ダイアローグ)から

さて、これら全てに大事なことは対話(ダイアローグ)です。
対話というのは面と向かって声をだして言葉を交わすことで、主観と主観の交換です。
まずは毎日の挨拶から。誘い、お願い、相談もいいでしょう。
家族ならまず夫婦での会話を活発にして、参加しやすい雰囲気が大事です。話題の選択も大事で、ニュース、スポーツ、芸能界などの時事的なものはいいですが、将来、仕事、学校、過去の栄光、同級生の噂話などは禁物です。

議論や説得や正論、叱咤激励は「対話」ではなく「独り言(モノローグ)」であり、モノローグの積み重ねがしばしば事態をこじらせます。診断などの客観性や正しさの追求は()に入れておき、まず「外出させたい」「仕事につかせたい」「親の見栄や世間体」などの下心は脇に置き、本人からの言葉は遮らずに耳を傾けることが大事です。

言葉を介さないコミュニケーションは大体うまく行かず、邪心をもった「これみて悟れ」式(本やバイトのチラシなど)は必ず怒りや不信感をかいます。

見てほしいとおもったら必ず言葉を添えましょう。
通院させたいときもまず親からはじめ、できたらあなたも一緒にというスタンスがいいです。

要は、いかにまっすぐ向き合ってくれたかということが大事ということです。
基本姿勢は、相手に対する肯定的態度であり、肯定とは「そのままでいい」というよりは、「あなたのことをもっと知りたい」というスタンスがよく、好奇心と興味をもって向き合うことがよいようです。

支援者も権力構造を最小化するために専門性を脱ぎ捨てて、ヒエラルキーをフラット化したチームで対話することが大事であり、多様性を尊重し、違いをすり合わせて折衷案をだすのではなく、ただ違いを深掘りし、選択肢を広げ、アイディアをお盆に乗せることで十分で、ゴールを定めず、対話さえ続いていればなんとなかるという視点(対話主義)が大事とのことでした。


斎藤環先生の以前からの著作もずっと読んで参考にしてきたこともあり、だいたい自分の実践もほぼ同じだったなと再確認できました。

(長くなったので、オープンダイアローグについてはあらためて)

(といぴ)

子どものこころ診察室より
今月は信州大学医学部付属病院 子どものこころ診療部 樋端先生のコラムです。

いい加減の子育ては難しい。

ここで言う「いい加減(否定的)」では無く「良い加減(肯定的)」の事を指します。

十数年前は困っているとご近所の人が助けてくれるのが当たり前の時代でした。
近年核家族化が進み、共働き世代になり、福祉サービスの充実と共に
地域での繋がりは薄れ、皆で「良い加減」に子育てするのが難しくなってきました。
ましてや子供が発達障害と診断されると、周囲の理解も得られず孤独になったり、自責の念に囚われる親も少なくありません。

だからと言って周囲の子供達に早く追いつこうとか
普通に育てようなんて思う必要はありません。

発達障害の子どもは実はとってもユニークな特性を持っていて、
その特性を上手く伸ばしてあげると素晴らしい子供に育ちます。
だからと言って焦りは禁物です。
知識と余裕を持ち子どもの成長段階に合わせた支援をしていくことが大事です。

でも育児をしていく中で不安や迷いは常について回ります。
そんな時は行政、医療、教育などに相談してみましょう。

もっと気軽に相談できる場が無いか?
行政、医療機関、児童発達を支援する事業者が立ち上げたグループ、保護者が立ち上げた親の会などがあります。
そのようなところに問い合わせをして参加してみるのも一つの手立てです。
ただ、保護者の中には専門的な機関や昔からある団体に抵抗感を感じる方も少なくありません。

そういう方たちにも気軽に参加でき、自らの悩みを話、様々な情報交換できるのが
「発達障害あるあるラボ」です。
医療、教育、福祉の支援職、当事者、保護者などが参加して、
赤裸々トークし前向きに育児に取り組めるよう癒しの場を提供する
今までにない形のピアサークルです。

心屋仁之助書「いいかげんに生きるより」

”ちゃんと「がんばる」よりかなり「適当」くらいが人生うまくいく”

発達障害あるあるラボに参加して発達障害のあるお子さんの
「良い加減」な子育てしてみませんか?

みんなの学校」の映画を見ました!

(9月30日(日)安曇野市豊科交流センター「きぼう」にて上映)

2年ほど前に1度見た映画です。
大阪市立大空小学校のドキュメンタリーです。

大空小学校では、職員と保護者と地域がチームになって子どもたちを育てています。
(特別支援教室はありません。30数名の支援を必要とする子も、すべて皆と同じ教室で学びます)

簡単に書いていますが、今のほとんどの学校ではそれはできていません。
なぜなら、「うちの子」「自分の学級」(が一番大事でそれを守りたい。そのためには他を排除しても構わない)という大人の意識に子どもが囲い込まれているから。

前回見たときは、「ああいいことしているな」「でも、今の学校では学級の人数が多いし、教育界の意識を変えるのも実際には難しいな」と、正直感じました。

でも、今回は、我が事のように思い、心打たれました。

私は、発達障害(正式に何かは不明ですが)の子どもを育てています。
そして、過去、小学校・特別支援学校で働いてきました。

私事を書きます。
2学期の夏休み、学童クラブで息子の投げてしまった石がある女の子の顔に当たり、怪我をしてしまいました。
相手の父親はひどく怒り、こんなことを言われました。

「あんたの家の子は他でもいろいろと問題を起こしているそうじゃないか。どうなっているんだ」

謝りに家に伺った時、息子は「もう他の人を怪我させるな。男と男の約束だぞ」と言われました。

息子は、無意識に石を投げたので、全く心には響いていませんでした。
(そのお父さんに息子が発達障害であることは伝えたのですが、その何ぞやを知らない方にとり、怒られたり・・などの反応はまあフツーだよな・・娘の顔に怪我させられたのだし‥と思っていますが。でも、息子って全然知らない親にもそう思われているんだ、ということは、他にもそう思っている人結構いるんだと、ちょっとショック!でした)

また、2学期明け、産休で先生が代わり、すぐに運動会の練習が始まるという、息子にとっては苦手なことが2つ重なり、登校を嫌がる日々が続きました。

そして、運動会が終わっても、これは続きました。

学校からの連絡帳には、息子が学校で物に当たり散らし、暴言を吐くことが何回も書かれていました。

代わった担任の先生に、1つだけお願いをしました。
「息子のことを『困った子』『友だちのサポートがあるおかげで生活できている子』ととらえないでください。一番困っているのは息子です。その心に寄り添って支援をしてください」と。

幸い、先生はその言葉を受け止めてくれました。
先生も、新しい学校、初めての学年の学習指導でいっぱいいっぱいだったのです。そして、息子に手を焼いてしまっていたのでしょうね。

そして、その数日後、息子は登校を嫌がらなくなりました。
今も、安定とまでは行きませんが、友だちとの時間は楽しくなってきたようです。
先生のちょっとした見方の変化が、息子には伝わり、また、回りの子どもたちにも良い方向に伝わるのです(学校の先生の責任は重大です)。

大人の温かなまなざし、こどものありのままの姿を認め、どう伸ばしてい行くかを考えること、いろいろな人がいる(多様性)ことを肌で感じること、そうできる環境を大人が協力して作ることは、子どもの本来持っている生きる力を大きく引き出します。
それは、映画でも言っているように、その地域を変え、そしいて社会をも変える可能性を秘めています。

「みんなの学校(大空小学校)」は、公立小学校でありながら、それを実践している貴重な学校です。

息子の通っている学校の先生にも、教育に携わる方にもそうでない方にも、できるだけ多くの方にみていただきたい映画です。

映画では、支援を必要とする子どもがクローズアップされていましたが、本当は、回りの子どもや大人が、その子どもから多くを学んでいるのです。それは、木村校長先生も自ら言っていました。

そして、「この一瞬が大事なんだよ」とも。
この、何ともいえない言葉の重さ。

さて、私にこれから何ができるか。
目の前の息子との関わり、学校との関わり、もっと大きな「教育」の転換への関わり。

一歩一歩できることをやっていきます。

「みんなの学校」

ぜひ機会があればみていただきたいです!!

(AOさんの寄稿)

秋の恒例、池田町にある安曇養護学校のとんぼ祭りが開催されます。

一般公開は10月13日(土)です。
養護学校ってどんなところ?という方。お子様連れの方など是非ご参加ください。

 

昨年、参加しましたが寄宿の公開、作品販売、展示、ジャンボすべり台などイベントも盛りだくさんで楽しめました〜。

大町市周辺で、ゆるったりと、すてきな仲間と、まったり ほんね の話し合いができる場を毎月維持している、ゆるすまほの会という会があります

”10月6日に大町市高瀬渓谷にハイキングに行きます。興味あるけど行く機会が無かった方やマイペースに自然を散策したいけど1人だと不安な方、障がいの有無問わず様々な立場の方のご参加お待ちしています。
詳しくはゆるすまほの会フェイスブックもしくは、yositosi1123@yahoo.co.jpまでお気軽にお問い合わせ下さい。
皆さんのご参加まったりお待ちしています。”

とのことです。


ゆるすまほの会には私も何年か前に参加させていただいたことがありますが、配慮された場が4年間、ほぼ毎月継続されており(すごい!!)、大北の方で、ちょっとそろそろ家から一歩踏み出て話してみたい、相談してみたい、聞いてみたいという場がほしいなという方に最適とおもいます。

気になる方は小林さんに連絡をとってみてください。

(といぴ)

長野県LD等発達障害児者親の会「よつ葉の会」主催の勉強会の案内です。

「発達障がいと不登校」がテーマです。この二つはもはや切っても切り離せない感じですね。

残念ながら望月青少年自然の家で10月28日29日と行われる”長野不登校を考える県民のつどい”とかぶりますが、望月までは遠くて行けないという方、発達障害と不登校に関心のある方はどうぞ〜。(はしごも可能?)

秋はイベントが多いですね。