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発達障害あるあるラボトークライブinしおじり と日程が重なりますが、お近くの方どうぞ。
意思決定支援、地域生活拠点整備、どちらもとても重要なテーマです。いつか中信エリアにも両先生をお呼びしてお話をお聞きしたいですね。

2019年3月30日、松本圏域の家族会などの連合である「てまり会」主催の精神保健福祉講演会で、オープンダイアログを推進する精神科医の斎藤環先生の講演会が開催された。家族、当事者、医療、福祉の支援者を中心に300人を超える会場からあふれるくらいの参加者があった。
残念ながら医者はみなかったなあ・・。

オープンダイアローグは、1980年代にフィンランドの過疎地で始まった取り組みである。
クライシス状態となった患者や家族から連絡を受けたチームが24時間以内に訪問し、改善するまでオープンでフラットな場での1時間〜1時間半程度の対話による治療ミーティングを継続するという治療の技法と思想である。
急性精神疾患の寛解率、再入院率、薬の使用率などもこれまでの入院、薬物療法、そしてリハビリといった旧来の方法に格段に比べてよいというエビデンスも蓄積されてきている。

このオープンダイアログが我が国でも注目を集め、その発展型の未来語りのダイアローグとともに、さまざまな対人支援の現場で活用されるようになってきた。

対話実践のガイドライン

そもそも対話とは主観の交換と共有であり、どちらが優位とか正しい客観があるとかではない。 対話になっているかは双方に変化が生じているかがポイントである。どちらか一方だけに変われというのはありえない。
良かれと思ってやっている指示や説得は結論が先行しているモノローグであり、当事者の力を奪ってしまっていることに気づくべきである。
落とし所を定めず、対話の継続こそが目的とするのは治療チームとしても楽である。そして何よりいいことは支援者に高度な専門性が求められないということ。
(むしろ偉ぶる専門家と、それに忖度する支援者が弊害になる)

オープンダイアローグでは物語の書き換えと、ネットワークの修復が同時におこる。ヒエラルキーを排したフラットな場で言語化と共有という2つの治療メカニズムで患者が良くなるのは当然だという。

また急性期ほど、 症状がいろいろ表している、急性期ほど窓が開いているという意味で窓が開いている。ある意味チャンスである。

ダイアログは「今日はこの時間をどう使いたいですか?」「今日はどこから始めましょうか?」などという開かれた質問からはじめる。
クライエントの安心と安全こそが最優先であり、直面化させて相手を変えてやろう発想はオープンダイアローグにはない。また支援者自身の心配事から出発することもポイントであり「あなたこのままだと大変なことになりますよ」と相手の不安を煽るので無く、自分の不安を伝えて協力を求めるところからはじめる。
健康度が高くない人に対しては不安を煽るやり方は効果がないしむしろ有害である。

オープンダイアログではリフレクティングという技法も特徴的である。
これは当事者に支援者どうしが率直に対話するのを聞いてもらうというもので、これをやるためには支援をヒエラルキーのないチームでやることが必須となる。(最低2人のチーム)

オープンダイアローグは世界中で盛り上がってきており、実践や研究のエビデンスも次々と蓄積されている。 日本でも地域の福祉的支援者を中心に広まってきているが、医療、特にヒエラルキーができやすい医師が一番遅れている。
多すぎる精神科病床も問題であり、バックアップとしての病床は必要かもしれないが今の1/100くらいでいいだろうとのこと。
しかしそのためには地域も、家族も、収容主義、収容文化を捨てなきゃいけない。このブームを実質的な変化につなげるために文化を変えるために保険点数収載を目指しているとのこと。

家族も支援者もできることから始めてほしい。普及するように声を上げて欲しいとのことでした。

(斎藤環先生の、ひきこもり支援の研修会のレポートはこちら)


発達障害と不登校は大きな関連があります。
発達に支援が必要で、定型の人対象の一般向けの教育だとフィットしないのだから当然ですが。
4月7日、14:00〜15:30、松本市キッセイ文化中ホールで、プリマ国際高等学院主催の講演会で明蓬館、SNECの日野公三先生のお話が聞けるようです

松本でも発達障害の子などのスペシャルニーズ特化した教育が行える場が増えてほしいですね。

今回ゲストとしてミニ講演&トークに参加いただく新美Drが、「なないろキッズすくすくサポーター」というコラムを連載しているMGプレスにイベント案内が掲載されました。

長野県では信濃毎日新聞が過半数のシェアを締めています。
全国誌の読売も朝日もその1割くらい。
3月18日にそんな信濃毎日新聞にあるあるラボが紹介されました。
反響が恐ろしいです。
(トークライブにはたくさん来ていただきたいですが・・)。

ニーズはアリアリなのでセルフヘルプグループ、ピアサークルは各地で開催してみてくださいね。ご要望があれば、あちこち行きたいADHDメンバーが立ち上げも支援します〜。

3月9日に開催されました、「親子のあるあるラボ」のレポートです。

初のカフェ開催!
初の要ワンドリンクオーダー!
初の子供はゲーム持ち込み開催!みんなでマインクラフトしようぜイエーイ!

という事で穂高にありますカフェ「だ・もんで」での開催です。 

写真はカフェで出された、たい焼きとプリン(プリンは特別に買わせて貰ったものなので、当日販売はありませんでした。美味かった…)

賑やかにみんなでお話しましたが、話題はゲームに集中。
子供がゲームに長時間取り組むのは、親はどう扱ったら良いか?というもの。

結局、ゲームの何が問題かというと、そこに時間を費やしてしまうと勉強や日常生活動作などがおろそかになってしまい、生活リズムも崩れやすくなってしまう。

引きこもり対応の第一人者である精神科医の斎藤環先生曰く、ゲームは枠組みをどうするかという話題をしています。

プレイ時間を6時間を限度に。
高校生位の年齢でそれ以上したかったら、自分でプロバイダ料金を支払って貰うといった責任を持つ形での取り組みへの移行。
スマホやPCは絶対に取り上げない。

それよりも長くプレイしたい子供もきっと居るという点については、さて、どう知恵を絞るか。

親がファミコンの洗礼を受けた世代という事もあり、私は正直「長時間やり込みたくなるゲームは良いゲーム」と認知しています。
実家の親は連休に入ると親類の子供も呼び、「全員でゲームソフト一本完全クリアを目指す」という合宿も行っていましたが、食事、入浴、睡眠時間などのタイムテーブルはある程度決められていたように思えます。

ゲームに入れ込みたくなる程、現実に視線を向ける事への不安感があるのか。
ゲームに入る事でその仲間に入る事ができ、家庭以外の居場所が出来るのか。
もし枠組みを作るとして、その枠組みに従う事で本人に利益が生まれる事を本人が知っているのか。

答えは各家庭毎に違うように思えますが、そこにはやはり「親子での対話の必要性」が見えた話題でした。

あと、子供が夜遅くにアニメをリアタイ視聴したいという話がありました。が。

「銀魂」
→作品のメタ表現が面白いので仕方ない
「マギ」
→毎回燃えて泣けるストーリーなので仕方ない
結論
→息子の作品への審美眼は確かなのでお母さんは良い子育てをしている

という話もありました。
子育てはその時に流行しているカルチャーが話題の中心になるのも避けられないものですよね。

ちなみに、ゲームに入れ込む子供たちの心情が知りたかったら、ぜひアニメでも原作でも良いので「ログ・ホライズン」見てください。ゲームに入れ込む子供たちの血の叫びが満載の作品です。
ゲームプレイそのものに居場所を求める人にとっては、それを禁止されるというのは息を止められるのにも相応しいものかもしれませんよ。

3月16日に塩尻えんぱーくで、あったかユニットほくほく堂さんがプレゼンツするオキナワへ行こうの上映会と精神医療に関するトークライブがありました。複数のあるラボのイツメンもパネラーとして登壇。

しかし、えんぱーくやっぱりいいですねぇ。
常にいろんな催し物が開催されおり、混じり合えます。休日に何はなくても来たくなる施設です。

さて、この国では理解できないものは怖い、見えない場所へ押しやって無かったことにということで、戦後、医療でも福祉でもない劣悪な収容施設となった精神病院に長期入院という形で隔離され、人権侵害されてきた人たちがいます。そして、いまだにこの国には約35万床、全世界の2割の精神科病床があり、それは続いています。
どう考えても多すぎる。

そんな環境に隔離され自由を制限されてきた人たちにとって病棟からただオキナワへ旅行するということひとつでも大変・・。そんなドタバタや周囲の人を精神科病院をたくさん取材し、そこで暮らす人の写真をたくさん撮ってきた写真家 、大西暢夫さん撮影した映画です。

当事者、医療者、病院を出た人、オキナワの人など様々な人の語りでつなぐ、暖かくユーモラスだけれどいろいろ考えさせられる映画でした。

悩んだ末、病院から地域に出て、精神障害を持つ人が何はなくても寄りつける、地域の人とまじりあえるカフェを営む元看護師さんが「お世話をしすぎちゃったのよね」と言っていたのが印象的でした。

トークライブでは様々な病院での入院の体験を語られました。そして精神医療のたどってきた歴史、措置入院と任意入院の間の医療保護入院という曖昧な制度のおかしさなどについての解説もあり理解を深める事ができました。

またフロアからも、親や周囲に理解されず押し付けられストレスを受け続け暴れたりひきこもるという形でしか表現ができなかった当事者としての思い、対話がなされないことからあわや暴れた子どもを長期収容させてしまうところであった親としての思いや体験が語られました。
(トークライブは思いがけずフロアから素晴らしい発言が出ることが多いです。拍手が巻きおこっていました。)


そこには対話がないがために、親や世間、周囲の都合で、理解できないものとして医療?に丸投げされ、医療でも対話がないままに隔離や拘束されている事態がありました。
対話されないなら理解できないのもあたりまえ。
そして社会の厳しさが、弱い方へ弱い方へとハラスメントが流れていくのも社会の縮図です。

不安や孤独、混乱の中にいて一番そばに居て欲しい急性期に隔離、拘束で放置される一方、自ら選択して選び、葛藤や失敗も含めて引き受けさせて欲しい時期に余計なお世話をされて自由を制限される。
これは、どちらもひどい人権侵害で、医療と福祉の貧困、そしてアベコベぶりが現れています。

また国が役割を果たさず、低廉劣悪な民間病院に人権制限を伴う精神医療を任せてきた過ち、そして、それを良しとしてきた国民がいました。
この問題を皆に考えてもらうため国を相手取り集団訴訟も準備している団体もあるようです。

薬物療法を始めとした精神疾患への治療技術の進歩や地域の理解や支援がすすんだことで、消えていくべき劣悪な精神科病床に、今度は認知症の方が集められ、今度は理解できないものを排除してきた人たちが自分たちが排除され、隔離されるという悲劇(喜劇?)がうまれています。

ただ、希望もあります。
その構造に気づき地域に出ていく医療者も増えてきています。まだまだ少数派の存在ですが。
そして、こういった会もそうですが、当事者が声を上げ市民とまじりあい対話する場が増えてきています。
どのような地域社会、それを支える福祉と医療が必要なのか、みんなが自分ごととして考えることが必要です。

まだまだ道のりは長いですが、人権をベースとした福祉があり、それを支える医療がちょっとだけあるというバランスがいいかなと思いますね。

ほくほく堂さん、良い企画にお誘いいただきありがとうございました。

(はぐれドクター)


家族SSTに取り組まれ「あなたの力が家族を変える」「マンガでわかる統合失調症、家族の対応編」などの著書でも有名な高森信子先生の講演が三郷にに八の会主催で安曇野であったので言ってきました。

高森先生は86歳もの高齢なのに、お元気。パワフル。「はっ、はっ、ほほほ」の笑いヨガのサワリの紹介もあり、笑いあり涙ありの講演でした。
前日には当事者のグループでのSST、そして午後には家族支援者のグループでのSSTも開催されたようです。
講演の内容の一部をシェアします。

まず、なぜ家族を重視するかと言うと「本人を元気にして変えようとするより、家族が変わるほうが早い」から。
家族に、それを言うと、こんなに苦労してくたびれ果てているんです。「さらに私に変わるっていうんですか・・。」という人もいるといいます。でも、これまで家族がよかれとおもったことがあっていなかった。家族が変わるというのはどういうことか理解することが必要です。
SSTは本人を変えようと道徳を教えるのではない、対話のコミュニケーションを下から支えるためにあります。

まず斎藤環先生や高木俊介先生らが日本に紹介したフィンランドのオープンダイアローグの紹介がありました。
(斎藤環先生は3月18日に安曇野3月30日に松本に講演に来られますので聞いたことのない方は是非・・。)

さて、精神疾患(ここでは統合失調症)当事者はストレスを感じやすい敏感な人たち。家族の力関係がある中で一生懸命でも言葉で治そうとすると余計こじれてきます。叱咤激励では治りません。
本人が、 できないことをなんとかできるようにしようというのはすごいストレス。それよりもできていること、できることをもっともっと褒めながら増やしていくことが大切で、 そうすると病気の分量が減ってきます。

残念ながら我が国の今の精神医療は玉石混交であり、対話を重視して環境づくりから薬はなるべく少なくという医師がいる一方、拳銃をもたせろという精神病院協会の会長のような医師とそれを望む家族がいます。
しかし、この病気の人は変な先生(親子関係)にあたっても、変化するのが怖くて、なかなか変えられないといいます。

さて、特に親子ではどのようなコミュニケーションが大切なのでしょう。

「あなたは私にとって大切な人、宝物だと伝えましょう。」
こういうと、「私は親から言われていないので、私は言えません!」という親も・・。親も人生を振り返り癒やされる必要があります。

「人にはできることとできないことがあります。」
何歳だからできるはずと期待のラインでもの言いをするのではなく、相手の目線に合わせて現在位置を確認しましょう。

「思春期は親離れの葛藤の時期です」
思春期は親を乗り越えたい時期。当事者は思春期がエンエンと続いている。親は寂しいけど先に子離れする自分を育てましょう。要は、自分の思い通りに仕切らないことです。盆栽みたいにしていると子どもにとってはストレスの塊。対話と本人の意思決定が重視されるフィンランドと逆ですからストレスは多いでしょう。

良いコミュニケーションとは、相手の気持ちがわかり、そして自分の気持も言えて、より生産的な関係になることを言います。とことん聞いて先ずは相手の気持ちの分かる人になりましょう。(とことん聞くことと同意するということとは違うことには注意が必要です。)

家族は常に当事者に「本当の親じゃないじゃないのではないか?」と絶えずものさしで測られています。
当事者の方が家族の言葉の何が嬉しかったかと聞くと「一緒に雨に濡れてくれた」ことが嬉しかったと。「いい傘を渡してくれる」のはその後でいいのです。アドバイスや意見を言うにしろ、まず十分に受け止めてからということが大切です。

主に精神疾患(統合失調症)の家族会を中心にお話されている高森先生ですが、発達障害や認知症などでも共通な人と人とのコミュニケーションの基本を述べられているように思いました。

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公民館などで行われることが多いあるラボですが、3月9日に初の試みとして、穂高神社近くで、精神障害・発達障害の当事者、家族、支援者の拠点としても活用が期待される、”カフェだ・もんで”のカフェスペースを借りて、親子あるラボを開催いたしました。

(実は、かなり以前の参加者が数人程度だった時代に大人のあるラボを開催したことはありましたが・・。)

だ・もんでは町並み再生がすすむ穂高の旧道沿い、築100年の古民家を改装してつくったカフェで、焼き菓子などをつくって販売している就労継続B、日中一時支援などの多機能事業所です。

今回は大人、子どもそれぞれ10名を超える参加者がおり、遠くは伊那からの参加者もありました。

洒落たカフェです。奥に利用者の作業スペースがあります。


今回は信州大学の大学院の学生さん(留学生)も加わってくれて、大人も交代でついて、子どもは2階のスペースで遊びました。

持ってきたスイッチでのマインクラフトやフォートナイトを見せ合ったり、レゴをつくったり、ゲームをしたりしていました。

親のもとに降りてきたりまた上へ行ったりと距離はとりやすく、また親のグループで発言してくれた子どももいました。

2階は屋根裏部屋のよう(夏は暑い)。おばあちゃんちに来たような感じ。

学校をどう選んだらいいのか、不登校をどう考えればいいのか、ゲームの依存やアニメばかり見て心配、忘れ物をどうすればいいのか?など様々な話題がでました。

参加人数にもよりますが今後も、あるラボ会場としても積極的に活用していけそうです。他にもこんな会場はどう?という提案をしてくださる方も募集しています〜。